みなさん、こんばんは。
よく考えてみたらモーツアルト、モーツアルトといっている割には協奏曲(特にピアノ)
に興味が行っていて交響曲はあまり聴いていませんでした。
特に40番、41番は疎遠でした。
この交響曲の御大に日頃の不義理をわびつつ改めて40番から聴いています。
40番はシルビーバルダンさんが悲しみのシンフォニーという題名で第一楽章に歌詞を
つけて歌っていました。実は私はモーツアルトよりもシルビーバルタンさんのほうを先に
聴いたのでこっちがオリジナルだと思っていました(^_^;)
改めて聴くと第二楽章を除いて緊張感がありますね~
第二楽章はクラリネット協奏曲の第二楽章を彷彿とします。
真夜中の、静寂の中に、下弦の月が照っている時刻に、波一つ立たない湖で
静かに霧が湧いてくるというイメージです。(あくまでの私のイメージです(^_^;))
モーツアルトを聴いていると音楽そのものやもちろんですが、モーツアルトそのものの
人生に思いをはせます。
今でこそ評価されていますが、生前は神童時代を除いては評価されず経済的に困窮を
極めていました。場合によっては作曲されたにもかかわらずモーツアルトが生きている
間に演奏されなかったものもあります。
それを思うと色々な感情が駆けめぐります。
ただ・・・・後世の一リスナーの無責任な意見ですが・・・
もし生前に大衆にうける曲を書いて経済的に大きなものを得たとすると、今のような後世の人の心を打つ曲を書けたのか・・・という思いはあります。
モーツアルトというとアマデウスの最後の布で雑にグルグル巻きにされたモーツアルトの遺体が穴に放り込まれる(埋葬という感じではないですね)シーンが目に焼き付いています。
このシーンがモーツアルトの曲想と正反対な無惨な姿が生前のモーツアルトの悲惨さを想
像させてしまうんですね・・・
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