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2013年5月24日 (金)

神から直接聞いたのでしょうか?

みなさん、こんばんは
フォーレのレクイエムを聴くといつも思うのは先に旅立った愛すべき人達に安息の時間が訪れるようにということです。もっとも浄土真宗の私がレクイエムを聴いて・・・というのは宗派違いかもしれません。

フォーレは相次いでお父さんとお母さんを亡くしました。この時の思いが先に逝った愛すべき人達に安息の時を・・・という思いになり、死者のミサでは必須の怒りの日がないという理由で当時のマドレーヌ教会のミサには使われませんでした。

私もフォーレと完全に同じではありませんが半年の間に愛すべき人が二人相次いで旅立ちました。その一年後に私も旅立ちそうになりました(^_^;)

フォーレはこの愛すべき人達が神の審判を仰ぐという怖いところを省いたのだと思います。、怒りの日が必須といっても神に直接聞いて

怒りの日がなければダメ

といわれたわけではなく誰か人間が決めたことだと思います。神様にとっては代理権を与えたわけではないのに迷惑な話ですね~

当時は「死の恐ろしさが表現されていない」「異教徒的」ということで批判されていたそうです。当時の聖職者と私とは感性が違いますが、このレクイエムを聴いて何も感じなかったのでしょうか。

私はよく理解できていないのですが死とは恐ろしいものなのでしょうか?
死ぬことは良くないことで生きることが良いことなのでしょうか?

でもどんな生物にも死或いは終わりというのはあります。

生きたり死んだりすることはこの自然の摂理の中で淡々と起こっているものでそれにいいも悪いも、楽しいも怖いもないのではないでしょうか。

人間の髪の毛レベルでも死んだ髪の毛がありますが、髪の毛がいくら死んでも誰も悲しまないでしょう(別の意味で悲しむことはありますが(^_^;))

フォーレのレクイエムを聴くと色々と考えることがあります。

機会があればこの曲合唱で是非参加して私の愛するべき人達のために精一杯歌いたいです。(その時が来たらきっと泣いてちゃんと歌えないかもしれません)

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