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2013年7月 6日 (土)

受難について

みなさん、こんにちは。
先日カールリヒターのボックスを購入しました。これにはマタイ受難曲、ヨハネ受難曲が収録されています。内容はキリストの弟子のユダの裏切りから始まり、イエスの逮捕、死刑の宣告、十字架の磔、イエスの死、埋葬という2日間で起こった出来事を述べています。

まだ批評するレベルにありませんがマタイもヨハネも素晴らしい作品だと思いますし、バッハはこのほかにも受難曲を作ったといわれていますがそれも聴いてみたいですね~

私のように非クリスチャンはこういうシーンに馴染んでいるわけではないことと正式に教育を受けていないのでこれを題材にしたマタイ受難曲やヨハネ受難曲或いは絵画などが存在するのかイマイチ理解できない部分がありました。

1人の聖人が心ないものから迫害を受けて無実の罪で命を奪われた。イエスを死刑にしろと行ったのは当時の偉い人というよりはユダヤの民衆だったようです。

というように私には映りそれ以上の意味を見いだすことができません。

でもこの題材が浸透しているというはそれ以上の意味がきっとあるのだと思います。

以下正しいかどうかわかりませんが・・・・・・

イエスは人類が犯した罪を人類の代わりに背負い受難によって人類を救うことができたという意味なのかな~

と思います。これにより救われた民は自らの身を犠牲にして人類を救ったイエスを敬いその受難を忘れないことによってイエスに感謝するということなのかもしれません。

その意味では自分にとって親が自然にいるようにイエスは人類の父親のような感覚なのかもしれませんね~

宗派換えはしないですがこの素晴らしいマタイ受難曲、ヨハネ受難曲を聴くと色々と考えてみたくなりますね~

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