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2013年11月10日 (日)

i私は異教徒ですが・・・・(^_^;)

みなさん、こんにちは。最近バッハのマタイ受難曲を聴く機会を作るようになりました。
マタイ受難曲はこの曲を聴いていて楽しくなるという類のものではありませんし、特に最初の曲は聴いていると胸が痛くなります。聴きたいけれども体調が良い時でなければあまり聴きたくはない曲というのが本音です。

歌詞はドイツ語なので何をいっているのかわかりませんが、小学生の時に読んだ聖書の内容が当時の私にとっては衝撃的なのでだいたいの内容は覚えています。曲想とか歌詞のトーンに触れると小学生の時の記憶が蘇ってきます。大人になった今げは残念ながら私はキリスト教徒ではないので理解できない部分がけっこうあります。

マタイ受難曲はマタイ福音書を題材にしたイエス様(どうも呼び捨てにできません(^_^;))の受難を題材にしたものでイエス様が自分の運命を知り時が近づいたとそこから逃げることなくそれを受け入れ十字架にかけられるという内容です。イエス様の弟子は決して聖人君子ではなく、裏切り者の代名詞になっているユダのような人から裁判でその師であるイエス様のことを知らないと自分かわいさに嘘をつくペトロなどこれから起きるであろうことをすべて知っていました。特にこの部分は鶏が鳴くまでの間にあなたは三度私のことを知らないというだろう・・・・

とけっこう具体的に指摘しますし、ユダが裏切り者は私ですか?というとあなたが言ったとおりであるとズバリというのですね。

ここから先は異教徒の私見ですが、イエス様は自分が血を流すことで人間の罪を天なる父に赦してもらおうとしたので自分が

十字架にかけられ絶命する→願いは成就された

ということだったのだと思います。そのプロセスで弟子が裏切ったりするのはやむを得ないのか大きなことではないのか赦されることなのかわかりませんがそれをイエス様はとがめはしなかった

というのが何となくの私の解釈です。

最後の晩餐の時にイエス様は弟子たちにパンを与えて
取って食べなさい。これは私の体である
杯をとり感謝の祈りを唱えた後で、皆、この杯から飲みなさい。
これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血

というように罪があることを理解しており、弟子たちの罪も救う(ユダを除いて)
のだったと思います。ただしユダに対しては

人の子(イエス様ですね)を裏切るその者は不幸だ!
生まれなかった方が、その者のためによかった

これを穏やかな口調でいわれると怖いものがありますが、その後ユダは後悔して
から命を絶ちますがこのイエス様が言ったことから想像すると死んだ後にも悲惨な
ことが待ち受けているような感じがしますし、どんな人間でもイエス様の受難と
引き替えに救われるということはないようですね。

でイエス様は逮捕され殴られ、衣服を兵士に取り上げられ、ユダヤの王万歳などと侮蔑を受けけっこう痛ましいプロセスを経て絶命されます。歌詞には触れられていませんがイエス様の命を奪った人たちも

生まれてこなかったほうが良かった

ような目に遭ったのではないかと思います。

内容がイエス様の受難ですが決して楽しい内容ではないので聴いた後はいろいろなことを考えます。

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