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2014年1月 8日 (水)

才能

みなさん、こんにちは。
昨日はフォーレのレクイエムの練習に行ってきました。
前回は駅から歩いて1分のところを1時間以上彷徨って結局到着できなかったので昨日の場所は駅からもう少し歩くので無事にたどり着けるかどうか心配でした。

昨日は今までの復習とあらたにリベラメとインパラを練習しました。リベラメはバリトンのソロがかっこよくできればソロを歌いたい(カッコいいからという不純な理由だけですが(^_^;))、インパラはレクイエムの最終曲で天国で奏でられる音楽だそうです。

実は私の中でインパラが一番印象が薄く(^_^;) メロディーが思い出せませんでした。
しかも何度も聴いているにもかかわらずテノールが最後のほうに

え~る~ざ~れ~む

というのが全然わかりませんでした(笑)

去年まで練習した曲は2曲目が練習場にたどり着けなくて練習しなかったのでまだまだ
練習しなければなりません。

楽譜を見ると単純な音が並べてあるだけなのですがあれであの名曲を作るフォーレ(呼び捨てにしていいのかと思いますが(^_^;))はものすごいですね~

合唱に参加して思うのは私は音痴ではなくある程度音楽の才能はあるけど人並みあるいは人並み以下であるということです。

たとえば私でも才能があることがあります。

簿記(地味ですね~)は一から始めて日商の1級を独学で半年の受験期間が合格しました。
これは私が頭がいいとか天才とかではなく簿記の才能がたまたまあり、その才能のあったものをやったからです。

たとえば減価償却の概念や単利や複利での現在価値の概念は中学生の時に理解していましたし債務保証は小学生低学年の時に理解していました。

これらは普段の生活ではあまり関係ない(債務保証は関係あるかも)のですがこういうものを理解する才能があっただけです。

そこに特段の理由はありません。

こういう才能がない人はなかなか理解することができないでしょう。
簿記の1級はけっこう長い間受験をしている人はいると思いますがこれは
ダメではなく才能がそれほどないだけのことなんですね。

一方音楽に置き換えるとこういう才能はないので今は楽譜に従って遅れることなく外れることなく歌えると今の私の才能では「できる」「歌える」ということになります。

しかしながら才能のある人からみるとこれは自己満レベルです。
これだけでは聴く人に感動を与えることはできません。

好きである、興味があるというのも才能の一つだと思いますが、その対象を極めることができるものはまた別です。

たとえば自分では歌っているつもりでもレクイエムの第一曲のキリエ エレイソンのエが続くところはきちんと汚くならないように歌うとかイエス様を意味するJESU(ゆずといいますね)をうずと発音してしまったのですね。これはこの種類の曲でイエス様は不可欠な存在なのでこの部分をきっちりと歌えないというのは大きな間違いでそれが私にはわからなかったのですね。

歌っている時に母音を大切にするなんてことは思いもつかぬことでした。

これは無知ということもあると思いますが人よりもぬきんでている才能が私には音楽に関してはないという証になります。

また才能があるといっても普通の人よりも少しある程度とモーツアルトのように人間離れしたレベルとありますが、モーツアルト並みの人はなかなかいないと思いますし仮にいたとしても今の社会ではなかなか認めてもらえないでしょうね。

才能がないですが好きなので自分なりにフォーレに敬意を払いながら練習したいと思います。

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