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2014年3月14日 (金)

感性と練習

みなさん、こんばんは、
フォーレのレクイエムを練習する前は、この曲の冒頭でオケの

バ~~~ンという音の後で小さな音でしかも高い音で

レ~ク~イーエーム   テールナーン  ドーナーエーイズードーミネ

と歌うのですがCDでの演奏を聴く限り女性の声しか聴こえてこないので

良かった・・・テノールがなくて、こんな高い声でしかも小さい声で歌うなんて人間業ではないよな・・・・

だったのですが楽譜を見て愕然としました。

この部分でもテノールはあるんですね(笑)

しかも声は高い

私は元々聴く専門でこういう合唱のためのトレーニングは受けたことがありません。
カラオケなら声がでなければキーを下げますが、こういう曲はキー下げてとはいえません。
最初は声は出ないけどモーツアルトのレクイエムの時の経験で練習しているとそのうちに声がでるようになるだろう(根拠なし(笑))ということであまり気にしないようにしていました。

最近は曲想を覚えるためにこのl曲を聴きますが、冒頭の男性の合唱の部分が聴こえてきました。

もっと繊細な感性がある人は自分が歌わなくとも男性の声は聴こえているのだと思いますが自分自身の感性の鈍さにはあきれてしまいます。

でも好きなことも才能だと思いますし自分がこういう場違いなところで自分なりに一生懸命練習しているのも才能かもしれません。

作曲者のフォーレは相次いで母親と父親を亡くしその後レクイエムを作曲しました。
教会的には死後神の怒りの裁きにあたる怒りの日がないということで教会の正式な曲として取り上げられなかったようですが当時のフォーレの気持ちは良く理解できます。

天に召された自分の愛すべき人達が穏やかな安息の中で過ごせるように

という思いが強かったのだと思います。

当時から「死の恐ろしさが表現されていない」「異教徒的」などとの批判が出されフォーレのレクイエムは当時のカトリックの死者ミサでは必須であった怒りの日などを欠くなど、そのままではミサに用いることの出来なかったそうです。

「私のレクイエム……は、死に対する恐怖感を表現していないと言われており、なかにはこの曲を死の子守歌と呼んだ人もいます。しかし、私には、死はそのように感じられるのであり、それは苦しみというより、むしろ永遠の至福の喜びに満ちた開放感に他なりません」

(ウィキペディアより)

これがフォーレの死に対する当時の思いだったようです。
レ苦エムは決して音数が多くはなく少ないと思いますがこの少ない音数でこういった雰囲気の世界を創造するのは素晴らしいと思います。

最近はマタイ受難曲も歌いたいな~という気持ちになっていますがこれは大部分はソロの掛け合いのようなもので合唱として歌う部分は少なく実際に参加すると3時間の演奏時間の大部分はただ立っているだけになりそうです(^_^;)

かといってイエス様のところなんて歌えないですからね~
マタイ受難曲はなんとなく参加したいという程度に思うことにしましょう。

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