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2015年5月 2日 (土)

マタイ受難曲

みなさん、こんにちは
マタイ受難曲というとバッハの傑作といわれるもので代表的な演奏はカールリヒター指揮のいわゆる旧版といわれるものです。

リヒター指揮のものは非常に厳粛でそれぞれの場面が想像できます。
マタイ受難曲はマタイの福音書を元にした曲で簡単にいうと当時支配していたローマ人ではなくあろうことか慈悲の対象であったユダヤ人の民衆によってイエス様が十字架にかけられ命を落としたことを題材にしています。イエス様は未来を見通す力があったので自分の運命を知りそれを受け入れました。しかしながら簡単に受け入れたというのではなくイエス様にも苦悩があることが感じられ、イエス様を慕う人達は

そんな命を落とすような悪事をイエス様はなさったのでしょうか・・・・

という苦悩の描かれています。

以下全くの私の思い込みですがイエス様の受難は聖書に書いてある人間への祝福を達成する条件として必要なものでイエス様が人間の罪を背負って命を落とすことで人間について祝福が与えられるということなのだと思っています。(私はクリスチャンではないので正しくないのかもしれませんが・・)

ただし十字架で磔になるというのは姿勢がとれないので即死はしないですが長時間に苦痛が与えられることになり最後は窒息死に至るそうなのでずいぶん残酷な刑罰だと思います。

カールリヒター盤はイエス様が逮捕、裁判、ゴルゴダの丘での十字架のシーンがかなり鮮烈に絵として浮かびます。

また、当時の支配者はユダヤ人の群衆に盗賊のパラバとイエスキリストとどっちの命を助けて欲しいか?と尋ねて民衆は張り上げんばかりの声で

パラバ~

というのは当時の民衆の群衆としての狂気を感じます。このようなシーンがあるなか清純なコラールが美しいです。

ところがコルボ盤はリヒター盤ほど濃くはないのですね。リヒター盤は聴いていると心が苦しくなりますがコルボ盤はそうではありません。

またコルボはフォーレのレクイエムの時のように合唱が美しいです。

解釈も違うようで最後の晩餐でイエス様がこの中に裏切り者がいると言った時にユダがそれは私ですか?と聴き返すシーンがありますが、リヒター盤ではユダは堂々と

ラビ・・(先生)それは私ですか?

と聴き返していますがコルボ盤はやや控え目でした。

ちなみにイエス様はその後その通りと答えていました。

今はコルボ盤は1枚目を聴いていますがずいぶんリヒター盤とは印象が違います。

マタイ受難曲は時々聴きますが聴く時にはいつも躊躇してしまいます。それはやはりこの凄惨さなのだと思いますがコルボ盤は凄惨さはあまり感じません(第二部以降はどうなるかわかりませんが)

気軽に聴けるわけではありませんがリヒター盤にあるような重さを感じなくてもいいのは
良いかもしれません。

もちろんどちらも良い演奏なのでこれからも両方聴くと思いますが・・・

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