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2017年3月23日 (木)

曲良し、歌良し、しかし・・・・

みなさん、こんばんは。
以前不思議な経験をしました。コンサートで千の風になってを聴きました。
これは我が国では秋川雅史さんが歌ってヒットした曲です。

秋川さんはこの曲を情感をあまり込めていないように歌っており表情もどちらかというと力強い表情で歌われていますがかなり心に染みます。

秋川さんは作詞の新井満さんにこれが売れても喜んではいけないよと言われたそうでおそらくですが売れるために感情のツボを狙って歌っているのではないと思っています。キチンと演奏できる人が愚直に曲に向かっているから聴いていると感動があります。

私がライブで聴いた時は歌手は秋川さんではありませんでした。同じ曲で変な(失礼)アレンジはなしで歌手はプロのテノールの人でした。これだけ揃うと感動は約束されたものですが聴いてみると何の感動もありませんでした。

声はいいし歌はもちろん上手で演奏は失敗でも下手でもありませんでした。

でも何の感動もありませんでした。

これは本人はそういう意識があったかどうかわかりませんが私は歌手のあざとさを感じただと思います。

これは亡くなった人がずっと自分が愛する現世にいる人を見守るという歌〔原曲は知りませんが新井満さんの詩ではそのように読めます)で愚直に曲に向かいあうべきでした。歌を歌う人がここで泣かしてやろうとか計算しはじめると曲のすばらしさが色あせてしまいます。

話は変わって・・・・

私はピアニストではロシアのピアニストのマリアユーディーナのバッハの演奏に惹かれます。

マリアユーディーナは当然に華麗なピアノ演奏のテクニックを身につけていますがバッハの曲を演奏するときはこれらのテクニックをひけらかすことなく愚直にバッハと向き合っているように演奏を聴くと感じます。まさにバッハを信仰する修道女が一心不乱にバッハと向き合って演奏しているという感があり一切の虚飾を排して演奏をしているように感じます。

プロと呼ばれる人はそれなりのテクニックを身につけ曲にも精通しているので聴きどころとか聴衆が感動する箇所などは熟知していることが多いですがそれがあざとさとか計算が加わるとその演奏では感動させることはできないでしょう。

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